明るく元気でかっこいい!それが中川さんの第一印象だ。アマチュアバンドのベーシストとして活動している彼女は、家族のことを語るのもバンドについて語るのも大らかで自然体。話し出すと止まらないという元気いっぱいの中川さんに、輝きの源になっている想いについて尋ねた。

 

―バンド活動をされているそうですが、ライブはどのくらいのペースでされていますか?ご家庭と練習の両立が大変そうですが…。

始めは年に2〜3回だったライブが、気がつけば増えて2021年は10回ほどするようになりました。複数のバンドに所属しているのですが、社会人も多く、みんな仕事をしているため、練習は土日のどちらかでやっています。高校3年生の息子と中学2年生の娘はもうそこまで手がかからないので、時間の確保はできているかなと思います。ライブが立て込むと料理好きの主人がご飯を作ってくれるので、ありがたいです。ご近所の方も私がバンドの格好で家を出ていくと、「あらっ今日も練習?」って声をかけてくれるぐらいです(笑)。

―ベースはずっと続けてこられたのですか?

高校一年生で軽音楽部に所属し、パート分けの時にジャンケンで負けてベース担当になりました。結婚してバンドを辞めていた時期もあるのですが、大学の頃の先輩に「ベースの人がいないから、やらない?」と誘われ、久しぶりにベースを引っ張り出して弾いてみたら「ベースは一人じゃつまらないな、みんなと合わせたいな」と思い、バンドに参加しました。

―それはいくつの時ですが?ご家族は応援してくれましたか?

バンドを再開したのは43歳の時です。下の娘が幼稚園の時だったかな?再開した頃は子どもが喜んでライブを見に来てくれていました。息子はある時期から来てくれなくなってしまいましたが…。そんな息子は今、吹奏楽部でトロンボーンを吹いています。ずっと続けていきたいらしいです。音楽が好きなところは、ちょっと私の影響を受けているのかな?娘はたまに私のライブを見にきていて、私の友人たちに可愛がってもらっています。主人は音楽をしない人ですが一度だけ見にきてくれましたね。

―バンド活動をする上で、大きな壁に直面したそうですが…

4年前に突然「ボォー」とボイラー音のような耳鳴りがしてひどい難聴を患い、その後も度重なる耳の不調で音程が取り辛くなりました。耳管開放症も併発した時は、もう音楽を続けるのは難しいのではないかと落ち込みました。病院で診察してもらったところ、幸いなことにベースの音が原因ではないそうで、同じように耳鳴りに悩んでいるバンド仲間からも「そのうち慣れてくるよ!気にしないこと!」と励まされ、バンド活動ができる範囲まで慣れて今に至ります。

―落ち込んだ中川さんを支えてくれたのは何だったのですか?

バンド仲間が私の耳の不調を理解してくれたことです。私がバンド抜けてしまうと、仲間に迷惑がかかると思ったので頑張れました。バンド仲間からの「気にしすぎない!」の言葉が薬になりました。ベースという楽器の特性上、他のパートと息を合わせることが大事になります。どんな曲も一緒に演奏してくれる仲間がいてこそ自分が活躍できる場も生まれます。一緒に音を楽しむメンバーをずっと大切にしていきたいですね。

―耳のトラブルがあったとは信じられないほど輝いていらっしゃる元気の源とは?

ライブですね。ライブは人に見てもらえる機会があるということ。私はよくお酒を飲み、よく食べるので、人の前に立つ機会がなければ、太ってしまったり体型が崩れる事も気にしなかったのではないかなと思います。今のスタイルを維持する気持ちも下がってしまうかもしれません。

―これからトライしていきたいことはどんなことですか?

体力をつけてしっかり立てるようにしておくことです。ベースって結構重くて…。ヒールを履いて演奏してもヨロッとならないように(笑)。

バンドのメンバーとは100歳まで出来るんじゃない?と笑いながら話しています。続けられる限りずっとやっていきたいですね。

それと…家に籠りっぱなしの今は、ベースと違って一人で演奏しても楽しめて、歳を取っても演奏出来る、そして重量も軽い(笑)アコースティックギターにチャレンジしてみたいです。実は、先日購入しました。

読者へのメッセージ

今のうちから、何か打ち込める趣味を見つけておくと良いと思います。
外に出ていけば人と出会い、人間関係が広がっていく。人間関係が広がれば楽しいことがどんどん起こって毎日が楽しく過ごせると思います。