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わたしとこれから 夢を叶えた女性たち vol.17

大病を患って克服した、不屈の精神力

爽やかなショートカットのヘアスタイルに、キラキラと光る耳つぼジュエリー。その輝きに負けないほどの魅力的なオーラを放っているのは、耳つぼビューティーアドバイザー兼、美容研究家の浜崎真子さん。

今でこそ、元気はつらつの浜崎さんだが、これまでの人生は壮絶そのもの。聞けば、子宮、胆嚢、甲状腺、乳と4つのガンを患い、これらの大病を見事に克服したという。しかも、48歳にして夜のラウンジ経営から昼間の美容研究家への転身ぶりは、年齢だけで就職の幅が狭まり悩んでいる同世代の女性たちに、夢と希望を与えてくれる。

「確かに年齢を重ねたというだけでやりたいことがやれないという現実もありますよね。私もかねてから興味のあった美容の仕事をしようと思って、ある美容学校に電話したんです。すると、あなたいくつ?と聞かれて、48歳だと答えるともう年齢的にムリだからあきらめなさいと断られましたから」。ところが、これくらいのことでやりたいことを断念する浜崎さんではない。福岡がダメなら、日本の中心・東京で勝負してやると単身、上京した。

耳つぼジュエリーは肌身離さず装着。

耳つぼジュエリーは肌身離さず装着。体温を上げることはもちろん、体調管理にも役立つのが、耳つぼのすごいところ。

耳つぼジュエリーの道具箱

扱っているのは、アメジスト、クリスタル…など本物のジュエリーばかり。フランス製の耳つぼ探知棒は経験を積まないと使いこなせない。

がむしゃらに勉強した後、神様が授けてくれた運命の出合い

東京では美容の知識や技術を習得する日々。48歳からの新境地の開拓は決して簡単なものではなく、浜崎さんは寝る間も惜しんで勉強した。しかも、この時はまだ乳ガンは完治しておらず。だからこそ、毎日が必死だったと当時を振り返る。

「たまたま福岡に帰った時に、友人から耳つぼを紹介されたんです。当時の私は、体調管理のために24時間いつでも入れるお風呂にしたり、岩盤浴に行ったりして体温を上げていました。なぜなら、低体温が免疫力を低下させて病気になりやすい身体にしていると知ったからなんです。この時、半信半疑で耳つぼを体験したら36・8度になりました。たった20分程度の耳つぼで体温が2度も上がったんです。これは衝撃でした」。

美容業界で生きようとあるメソッドを学んでいたが、耳つぼとの出合いで一転。耳つぼこそが、自分のやるべき仕事だと確信したという。「現に耳つぼをやり続けていたところ、体温も安定して胸(乳)のガンもなくなりましたから。まさに神様がくれた運命の出合いだったと思います」。

耳つぼジュエリーで、生かされている私ができること

耳つぼジュエリーとの出合いで、まるで水を得た魚のように邁進していった浜崎さん。しかしこれからという矢先に、東日本大震災が起こった。

「仕事の都合で、ほんの2日前まで私は仙台にいたんです。その御縁で、しばらくは東北でボランティアをしていたんですけれどね。現場を見て考えた挙げ句、9月に帰福しました」。そして福岡から地道に拡げていこうと、「MAKO式耳つぼジュエリースクール」を立ち上げた。

「美容は健康な身体の上に成り立っていると思うんです。だから私は美容研究家として、耳つぼで体温を上げることの重要性を伝えていきたいと思っているんです」。低体温が身体に及ぼす影響を自ら体験しただけに、浜崎さんの話を聞くとみんな耳つぼの虜になるという。これまではインストラクターの養成に主力をおいていたが、今後は個人のお客さま一人ひとりに、耳つぼの魅力を伝えていきたいと話す。

「将来的には食の大切さも伝えていきたいと思っているんです。身体は食べるもので作られますので、みなさんが安心して身体によい料理が食べられるお店を作れたらいいな」。

不屈の精神で大病を克服し、今もなお輝き続けている浜崎さんだからこそ、その言葉には重みがある。

カルダモンを加えたダイエットサポートコーヒー

スタイル抜群の浜崎さんが愛飲しているのは、カルダモンを加えたダイエットサポートコーヒー。「楽らく すらリズムCAFE」。

山登りに持参したお手製のお弁当

人生に行き詰まった時には、山登りをするのが一番。お手製のお弁当持参で、低山に登っている。

読者へのメッセージ

ヒストリー

1960.9(0歳)
大阪府生まれ
1977.8(16歳)
高校中退後、男児出産
1978.10(18歳)
ホステスとして働く
1987.5(26歳)
独立して、博多中洲にクラブラウンジを開店
1995.8(34歳)
子宮ガン発症、一年の闘病生活
1995.10(35歳)
実母急死
1997.2(36歳)
結婚後、専業主婦になる
1997.10(37歳)
胆嚢ガン発症で全摘出
2001.1(40歳)
甲状腺ガンになり半分摘出
2006.2(45歳)
博多中洲にクラブラウンジ開店
2006.7(45歳)
離婚
2008.10(48歳)
乳ガン発症
2009.2(48歳)
クラブラウンジ閉店
2009.8(48歳)
美容の道を志し、上京
2009.11(49歳)
東京銀座にサロン開業
2010.8(49歳)
耳つぼと出合う
2011.3(50歳)
東日本大震災後、ボランティアで仙台入り
2011.9(51歳)
福岡に戻り、「MAKO式耳つぼジュエリースクール」を立ち上げた
現在に至る

※ 年齢は取材時のものです。

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