わたしとこれから 夢を叶えた女性たち vol.14

“福祉事業の取り組みは、偶然の出会いから

現在、福岡県北九州市内でグループホームやデイサービスなど福祉施設7事業所を運営する代表の中原亜希子さん。彼女がここまでに至る道のりには、離婚や長年連れ添ったパートナーの死去に加え、詐欺師にひっかかって巨額の借金を負ったり、コンサルに騙されたり。波瀾万丈という言葉ではおさまりきれないほどのできごとが、次々と起こった。


それでも決して逃げずに、前を見て誠実に対処してきた中原さん。そんな彼女を神様は見捨てなかった。


「福祉機器のレンタル事業を営んでいた時に、グループホームに見学に行ったんです。その時のあたたかい空気感に、心底やられてしまいました。私が本当にやりたい仕事はコレだ!と」。以来、グループホームを経営したい欲求は日ごとに積もる。とはいえ、何をどうしたらいいのか分からなかった中原さんは、出会った人と名刺交換するたびに、「グループホームをやりたい中原です」と言っていたとか。

各事業所が毎月発行している、スタッフ手作りの「きらめき便り」。入居者さんの充実した毎日が垣間見られ、ほのぼのとした気持ちに。ご家族にも喜ばれているとか。

各事業所が毎月発行している、スタッフ手作りの「きらめき便り」。入居者さんの充実した毎日が垣間見られ、ほのぼのとした気持ちに。ご家族にも喜ばれているとか。

決断に迷った時に開くと、自然とその答えが書いてあるという『中庸』。写真は『中庸に学ぶ』(致知出版社)。

決断に迷った時に開くと、自然とその答えが書いてあるという『中庸』。写真は『中庸に学ぶ』(致知出版社)。

依存からの脱却!真の経営者として試される時期

33歳の年のある日のこと。これまでの願いが叶い、北九州でグループホームをやってくれる人を探している人がいるという話が舞い込んできた。場所も用意されていてリフォームするのみ。しかも、経営コンサルタントが付き、広報活動から何から何までサポートしてくれるという、至れり尽くせりの話に二つ返事で引き受けた。すぐに契約して8ヶ月後には「グループホームきらめき」をオープンするも、誰も集まらない。18人満床のホームだったが、オープンから2ヵ月経っても入居者は一人という有様だった。

「ここでやっと気がついたんですよ。頼り切っていたコンサルは何の活動もしていなかったのだと」。当然、悔しい気持ちもあったというが、コンサルに依存していた自分を省みた。当時はまだほかの事業も並行していたので、スタッフの給料も払えたそうだが、「このままだとすぐに立ちゆかなくなる。もう誰にも頼れない」と感じた中原さんは、グループホームに泊まり込み、経費節減のために夜勤なども率先して行った。

当時を振り返るとグループホームを立ち上げてから3年間は、寝食を忘れて必死に働いた。聞けば、布団の中には入らず、何かあればすぐに対応できるように椅子で仮眠をとっていたそう。それだけに中原さんの本気具合がうかがえる。やっと事業が軌道にのってきたと思えば、次に訪れたのが16年間連れ添ってきたパートナーの死だった。「長い間、ガンを患っていたんですけどね。やはりいるのといないのとでは大違いで、ただいてくれるだけでどんなに救われていたことか…」。それでも、悲しみにふける時間はない。グループホームで生活する入居者さんのご飯、お風呂のサポートと、息つく暇もない中原さんは、前へ前へと勇往邁進するしかなかった。

日本の介護(KAIGO)をグローバルスタンダードに

もともと勉強家の中原さんだったが、グループホームの経営をスタートしてからはより一層、経営や自己啓発の勉強に力が入った。外部のセミナーに出向いたり、地元の法人会にも積極的に参加。やがて、当初いちグループホームからスタートしていた事業は、44歳になった頃にはグループホームや小規模多機能ホーム、デイサービスなど全7事業を展開するまでになっていた。

「この先は、事業所を増やす予定はないんです。それよりも目の前の入居者さんに喜んでもらえるように。また、入居者さんのためにも環境も含めて、社員教育にも力を入れています」。現にスタッフを外部の研修会に参加させるなど、積極的に教育を行ってきた。その結果、きらめきグループの人材育成が話題を呼び、昨年、同じ経営者の勉強仲間から、あるNPO法人設立の参加を持ちかけられた。


「今の日本の介護事業は世界的に見ても素晴らしい取り組みをしているので、この日本の介護をグローバルスタンダードにしようという活動なんです。それと同時に、日本はこれから本格的な少子高齢化の時代に入っていきますので、介護現場の人員も不足していきます。そこで、ミャンマーに介護の学校を作って、人材育成を行おうという試みなんです」と目を輝かせる。そして、中原さんはこう続けた。「私だけでは、こんな大それた事業を興すことはできませんでした。でも、これまで時間とお金をかけてきた人材育成だったらお役に立てるかもしれないと思ったんです。


私自身、やっと次のステージに立てたような気がします。ステージが変わってくると出会う人も変わってくる。人生ってつくづく面白いものですね」と笑った。

普段は自己啓発のセミナーやNPOの活動などで国内はおろか、海外出張も多いので、デスクワークは集中して一気に片付ける。

普段は自己啓発のセミナーやNPOの活動などで国内はおろか、海外出張も多いので、デスクワークは集中して一気に片付ける。

読者へのメッセージ

ヒストリー

1970.11(0歳)
山口県生まれ
1990.4(19歳)
短大卒業後、地元百貨店に入社
1993.4(22歳)
退社後、結婚
1994.10(23歳)
離婚
1995.4(24歳)
簿記の専門学校を出た後、経理として働く
1998.10(27歳)
雇われ社長に就任(2000年に親会社倒産後、清算)
2000.10(29歳)
有限会社プロデュース設立
2001.10(30歳)
増資して、株式会社へ
2003.4(32歳)
通信事業部売却、福祉用具レンタル事業、防犯カメラ卸・施工、病院関連事業、住宅改修・リフォーム事業の開始
2004.8(33歳)
グループホームきらめき設立
2007.10(36歳)
博多の事業を部長に渡し独立させる
2008.5(37歳)
パートナーの死去
2008.10(37歳)
北九州に本社移転
2013.4(42歳)
グループホームきらめき上の原・小規模多機能ホーム上の原開設
2014.8(43歳)
お里の家きらめき養福寺・デイサービスきらめき養福寺開設定
2014.10(43歳)
ケアプランセンターきらめき開設
2014.12(44歳)
お里の家きらめき本城・デイサービスきらめき本城開設
2015.3(44歳)
NPO法人 日本KAIGOサポートセンターの理事就任
2015.8(44歳)
お里の家きらめき養福寺休止現在に至る

※ 年齢は取材時のものです。

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