わたしとこれから 夢を叶えた女性たち vol.11

“心の葛藤”を糧に切り開いた女性の生き方

今も昔も、女性は“若さ”をもてはやされる。67歳にして現役アナウンサーの林田スマさんは20数年前、知人男性にかけられた「その年齢でまだアナウンサーしてるんだ」の一言に、働き続ける中年女性への偏見を感じ取った。


「悔しかったですね。でも担当していた長寿番組が終了し、アナウンサーを続けるかどうか迷ってた時期。別分野での可能性を試したい気持ちもあり、かえって『みときなさいよ』って、心が燃えました」。


当時、すでに講演の仕事があり、新聞にエッセイの連載をもっていた。テーマは「ことば」。「言葉でものが売れるし、人の心も動きます」。言葉が持つそんな力を1冊の本に著してみようと、あらたに原稿用紙と万年筆を買い、一気に書き上げた。初エッセイ集『ことばの花束』の誕生だった。

初エッセイ集『ことばの花束』。現在まで『こころの花束』(1999年)、『母のことば、母のこころ』(2013年)の3冊の著作がある。

初エッセイ集『ことばの花束』。現在まで『こころの花束』(1999年)、『母のことば、母のこころ』(2013年)の3冊の著作がある。

今でも毎日、RKBでラジオ番組を持っている。家事に参加しない夫への悩みなど、“家庭内男女共同参画”問題を綴ったおたよりが寄せられることも。

今でも毎日、RKBでラジオ番組を持っている。家事に参加しない夫への悩みなど、“家庭内男女共同参画”問題を綴ったおたよりが寄せられることも。

憧れの結婚生活が一転密室育児の苦悩

やさしい言葉も辛らつな言葉も、林田さんは力に変えてきた。在福の放送局であるRKB毎日放送のアナウンサーとして人気絶頂の24歳の時、結婚を機に退社。仕事への未練はかけらもなく、目指すは「良妻賢母」。夫の転勤に伴って気分もかろやかに東京へと居を移した。「でも、年の3分の1は海外出張の夫。私はいつだって留守番で社会とのつながりは一切ない。その孤独感はどんなに習い事をしても満たされませんでした」。林田さんがもっとも言葉に飢えていた時期だ。

悪いことに、生真面目な性格から、子どもたちに「こうしなさい」と自分の価値観を押し付けた。新婚生活を送った東京での9年間は、葛藤の連続だった。「知り合いもいない土地。たった一人での“密室育児”に、心が悲鳴を上げていました」。そんな母親の存在は、子どもたちにとってプレッシャー以外の何ものでもなく、娘が20歳を迎えたときに「お母さんは“漬け物石”のような存在だった」と言われたという。


カチカチに力んだ子育てが変化したのは、夫の仕事で再び福岡へ戻った32歳の時。「両親、友達がそばにいるという安心感から、気持ちがほぐれていきました。そんなとき古巣のRKBからラジオをやらないかと声をかけられ、これはチャンスとありがたくお受けしました」。


仕事に復帰することで、子育てに対する考えも変化した。「父と子、祖父母と孫、教師と生徒…それぞれの関係は距離も温度も違います。子どもは距離感が異なる様々な人々の言葉を自分の心で受けとめて育ちます。母親一人が頑張らなくていい。むしろ母親の価値観だけで接することが関係をぎくしゃくさせる。周囲に助けを求めていいんだと気づきました」。エッセイ集『ことばの花束』には、このころ林田さんを力づけてくれた、たくさんの言葉が収められている。

真の男女共同参画実現のためのエール

ひとつ道が拓けると次の道が現れる。エッセイ出版から2年後、大野城まどかぴあ女性センター所長就任の依頼が舞い込んだ。

就任後、林田さんは真っ先に専業主婦のための講座を提案。臨床心理士同席のもと、主婦が自分の心と向き合う「喋り場」という位置づけの講座だ。


「夫がわかってくれない」「子どもを叱りつけてしまう」など、そこで吐露された言葉はかつての林田さんと同じ密室育児への悩みだった。「諦め、悔やみ、我慢する母親たちをどう支援できるかがこれからの社会的課題」。そう思い立ち、53歳で九州大学大学院に入学。テーマを「母」と定め、母親像の変遷と母子関係を基軸に、男女共同参画社会についての知識を深めた。


「母親像は男女共同参画社会基本法が施行(平成11年)されて以後もあまり変わっていません。『男は仕事、女は家事と育児』という役割分担は、女性の社会進出で『女は家事と育児と仕事』に置き換わり、母親たちの苦悩はより深まったとも言えます。社会は変わらず優しく強い母を求める。その構造的な圧力を緩和し、男女が協力し合う社会を推進する。お母さんたちには子育てを楽しんでもらいつつ、子育てを終えた後の自分探しの準備をしてもらう。それが私の夢、ライフワークになりました」。


言葉を生業とするアナウンサーを基点に活躍の場を広げてきた林田さん。今、高齢女性支援のための起業を視野に飛び回る。

大野城まどかぴあ内で、定期的に勉強会を開く「大野城女性の会」のみなさんと。

大野城まどかぴあ内で、定期的に勉強会を開く「大野城女性の会」のみなさんと。

読者へのメッセージ

ヒストリー

1947.12(0歳)
福岡県嘉穂郡で誕生
1960.7(12歳)
何代も続いた実家の醤油醸造業が倒産
1967.4(19歳)
RKBに入社。アナウンサーとしてラジオ番組を担当
1971.12(24歳)
結婚のために、RKBを退社。東京へ移住。その後、数年の内、長女・長男出産。“密室育児”開始
1980.5(32歳)
夫の仕事で福岡へ戻る。半年後、RKBにてアナウンサーとして復帰
1994.11(46歳)
初エッセイ『ことばの花束』を出版
1996.4(48歳)
大野城まどかぴあ女性センター所長に就任
1999.4(51歳)
志半ばとなっていた九州大学の受験を決意
2009.4(61歳)
大野城まどかぴあ館長に就任
2010.4(62歳)
大野城まどかぴあ男女平等推進センター特別アドバイザーに就任。現在に至る

※ 年齢は取材時のものです。

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